10周年を迎えた片山歯研セミナー
自己教育から患者教育
1992
片山歯研セミナーが開催されて10年が経過した。
明治生まれの片山恒夫先生は、11年目の第1歩を踏み出そうとなさっている。「もうひと頑張りですわ」とおっしゃる先生を訪ねて、まずは現在の近況から歯科医療に対する今昔の思いなどなど、思いつくままに語っていただいた。
(なお本稿は、片山恒夫先生のお話をもとに編集部でまとめたものです:田辺)
朝3時ごろには目が覚めるんです。季節によって時間は少しズレますが、太陽より早起きであることは確かです。あかつきやみの道を犬を連れて散歩に出ます。公園までたどりついて犬を遊ばせて帰ってくる。この習慣はもう20数年続いています。
読書は複数人数で音読
私のところでは、新聞も本もスタッフみんなで、順番に声を出して読んでいます。目で読むのではなく、声を出して読み、耳で聞いて読む習慣をつけています。新聞でもコラムなどでは、読めない漢宇にふつかります。つまずけば、辞(事)書をひいて、どういう意味があるか、語源や出典など調べて、ノートを取らせます。言葉によっては、次から次へと自分で調べていかなければならない宿題が残ることはしぱしぱです。
これは30年以上ほとんど毎日のように続いています
昨日はちょうど司馬遼太郎の「春灯雑記」(朝日新聞社刊)という随筆を読み終えたところです。最後の章に「義務について」というのがありまして、義務という倫理観念は、英国の16世紀の“発明”であること、豊かになったいまの日本人に、この義務感がなければ、日本の資本主義は巨大な凶器と化すると述べられています。義務という用語は、明治維新時に生まれたようですが、dutyとobligationという2つの英単語が、じゃあいったいどう違うのだろうか、ということになるわけです。
ここからは、その本を離れて、みんなであれやこれや調べ出していきます。疑問は次から次から沸いてきます。そして結局、それでは現代という時代において、歯科医師としての義務、健康管理者としての義務は、いったいどういうことになるのだろうか、という点に話が及んでくるのです。患者の権利と医療者の義務
実はこれがなかなか難しい。義務という言葉の背後には、権利という言葉が見え隠れします。医療者の義務を考える場合は、すでに患者の権利ということが叫ばれている時代ですから、これを無視することはできません。
診療を終えるごとに、患者にカルテをコピーで手渡している医者が、増えているそうです。患者からの訴えを恐れた、医療者の自己防衛の1つの知恵なのでしょうが、これがエスカレートすれば「守秘義務」という医療者の義務は、いったいどうなるのか。問診という大切な診査において、患者が自分にとって不利となるような事があって、事実を曲げて伝えられた場合、それで結果として誤診が生じたらどうなるか。患者が事実を述べなかった、という証拠はどこにもないわけです。裁判沙汰になれば医療者は不利になるでしょう、だから患者の言うことは信頼がおけない、ということになり、その裏返しで検査診断機器が発達を遂げてきた一面もあるわけです。客観的な数値によって患者の体の状態を測ろう、証拠は残るし、うるさい患者と口を利くこともない、というわけでますます、医者と患者の関係が離れていく傾向にあるようです。インフォームド・コンセントという流行語が出てきました。医者患者関係において、この説明と同意という2つの行為は、信頼の情で結ばれていなければいけません。説明したからいいだろう、同意したからいいだろう、それで義務は果たせたなどと、単なる一つの事実をお互いに問題にするようになれば、ますます関係がおかしくなってしまいます。
歯科臨床の場合、1つの治療行為の結果を予測するのは大変難しい要素が絡んでいます。何年持つかわからない、わからないから黙っていると、後々聞いていなかった、騙された、と患者に言われやすい。
医療者はどこまで責任が持てるのか、義務はどこまで生じるのか、医学的な判断・予知がどこまで可能なのか、なかなか窮屈な時代になってきました。医療者にとっても患者にとっても。
逆差別の時代の到来
患者は弱者であり守って上げるべき、という考え方から「患者の権利」が叫ばれるようになりました。アメリカ社会では、黒人が随分と差別されてきました。それゆえ優遇政策がとられ、いまでは白人が逆差別を受けている地域もあるようです。Poor-whiteが増えてきて、黒人のみ職が安定して与えられるようになった。そして今度は、それはおかしいとデュークという政治家はアピールして、大変な支持を現在得ていると報じられています。つまりは、行き過ぎですね。過ぎることは、過ち(あやまち)に通じがちです。
共産主義と自由資本主義、どちらもいまのところ、いい状態ではないようです。どこから狂ってきたのか。たとえばわが日本は、戦後のアメリカナイズから独自の道を歩むべきだ、という主張がありますね。それが行き過ぎると、かつての「ナショナリズム」が顔を出してくる。どうやらほどほどがいいようだと。じゃあ中庸を目ざそうと。そうなると「なあなあ」の関係になってしまって、進歩が止まる。
健康の実像は心と身体と社会のなかに
とにかく難しい、二進も三進もいかない。それでもどうにかしなくてはいけない、前向きに努力していかなくてはいけない、そう思い考えて、自分のできる範囲で社会に働きかけて、打開策を見いだしていく、この行為が、つまり、社会的な健康を守ることのできる道なのです。
健康はWHOの定義にもあるように、身体的にも、精神的にも、そして社会的にも安寧な状態を言うわけです。身体だけ健康であっても、精神的に不健康であれば、あるいは社会的に不健康であれば,やがて身体も不健康に陥っていきます.これら3つの概念の関係のなかでしか、健康の実像はないわけです。
歯科医師という職業は、口腔機能の回復を通して、体の健康を考えていく契機を患者に与えることに、その意義があるように思っています。
自己教育から患者教育へ口腔の健康を回復してあげて、それが再発しないように、そのための能力を患者に与えてあげること、つまり健康教育が大切です。それがわれわれの歯科医師としての義務だと思います。
このように1冊の本の1章からでも、それを起点としていろいろと考えが広がってくるわけです。読書をみんなでしながら、ああでもない、こうでもない、と考えていくことができれば、自然とお互いが伸びていくわけで、一度試されてみてはどうですか。教育を語るにはその歴史から
医療を取り巻く現代という時代の一断面について、そして歯科医療の果たすべき義務について、大急ぎで話しましたが、いま一番大きな問題は,「教育」ということなのかもしれません。
明治時代に帝国大学が招いたドイツ人教師ハウスクネヒトの影響により、ヘルバルト(1776〜1841)学脈の五段階教授法が大流行しました。ヘルバルトは、「教育の目的を倫理学に、その方法を心理学に求め、初めて体系的な教育学を樹立」(「広辞苑」)した人ですが、教えこんで、守らせて、それを行為に結びつける、という上からの命令によって、教育の成果が得られるという考えに立っていました。
そしてここに、大正デモクラシーという新風が吹き込んできます。貴賤上下の別なく民衆を重んじる風潮が強くなって、子供の個性や能力を育てようという、いわゆる新教育運動が起こってきました。アメリカの哲学者であり教育学者であるデューイ(1859〜1952)は、子供の生活経験を重視した教育を唱え、その考えが普及してさまざまな試みがなされました。ところがやがて軍国化の波が押し寄せて、教育界は命令を中心とした道徳教育に戻ってしまいました。社会がまず存在し、既成の掟を守ることが重んじられ、やがては教育勅語に結実していきます。
以上のような大きな流れをふまえて、また、戦後から現在の教育界の動向を捉えて、さて、現在の歯学教育はどうか、ということになるわけですが、これを話し出すときりがありませんので、私の感想だけ述べます。
歯科大学も学生と困っている
かつて竹内光春先生が文部省にあって、歯学教育に健康教育を取り入れようとして、大変苦労なさった時期がありました。現在は歯科大学の教育のあり方について、情熱を傾けておられるようですが、今日まで歯学教育に対して、いろいろな方がご苦労を積み重ねていらっしゃいましたが、どうやらいまの現状を見ますと困ったことが多いですね。
留年者が増えて下級生をいじめたり、卒業しても就職先がなかなか見つからなかったり、といった現象が顕著になってきました。大学が困っています、学生も困っています。
学生は実際に臨床に携わるようになったら、どういうふうに患者を導いていけぱよいのかよくわからない、技術面でもかなり不安を持っているようです。大学の教育が充実していれば、私のセミナーにわざわざお金出して、時間かけて参加を希望する必要はないわけですよ。
1927年に日本の健康保険制度は始まり、国民皆保険制度が達成されたのが1961年、そのあとからでもすでに30年が経過しています。問題はここにもあります。つまり、いくら勉強したって、点数評価は同じなんですから、楽なほうに走りますよ。そういう考えが連綿と受け継がれてきている。
大学教育の不十分な面を、「学習」ということで補おうと、一部の熱心な先生方は勉強会や研修会に出られたり、スタディグループで勉強されたりしていますが、国の評価が同じでは延びる者も延びにくい。私の症例は「事実」です
さて私のセミナーは11年目を迎えました。実は私は60歳で停年と決めておりました。ところが、それがかなわないまま、すでに20年も過ぎてしまいました。私にはもうあとがありません。いつまで命があるかわかりません。だからセミナーも、いままでどおりの内容・形式で開催することは、私の体がまず不可能であると言っています。セミナーヘの申し込みは、紹介者のある人だけに限っていますが、それでも毎回定員オーバーになって、何十人の人にお断りしている状況です。
10年前、このセミナーを始めた頃は、アメリカの歯科医療が大手を振って歩いていました。歯周外科が流行し、修復中心の「高級歯科医療」がはなやかな時代でした。
ところが、3年5年と経過を診るとよくないのが多いんですね。私のところに患者さんが訴えてくる数が,だんだんと増えてきました.私はその患者さんに,「その治療して下さった先生のところに、もう一度行って、いまの状態を見てもらい、知らせてあげなさい。いいと思って治療して下さったはずですから」と言って、随分と追い返したことがありました。このような時代の流れが一方にあって、私のセミナーは始まりました。
削ったり、切ったりしても結果は必ずしも良くない、ブラッシングだけでさえここまで治ってくるよ、ひどい歯周病でも抜かずに頑張れば、10年20年30年無事に機能できますよ、ということを症例を通じて話していくのが、私のセミナーの当初のねらいでした。
ただし、もちろんそんな簡単なわけにはいきません。患者さんが自分の生活に気付いて、病因除去の生活改善を目指さない限りは、何を施しても結果は期待できません。私の症例、つまり「事実」を見てもらいながら、なにかを感じ、反省してもらい、気づいてもらうことが目的でした。歯周外科に自信のある先生方が大人数で参加されて、「反対である」という主旨で質問の手を上げられたこともありましたが、私としては症例が全てであり、事実なんですから、こういうふうに患者さんを救ってあげることもできるのですよ、と。それ以外につべこべ言う必要はありません。
この10年で、のべ3200名をこえる人が参加なさいました。毎回毎回、ビデオと録音テープをとって、セミナーが終ったあと、次のセミナーに向けて何度か見直します。ですから毎回、話す内容がいくらか違ってきます。
当初はとにかく多くの症例を紹介しましたが、だんだんとその背景にある考えや技術面について話していくようになり、そこに時間をかけるようになってきました。それでも、もっともっと具体的に教えてくれ、という声がだんだんと強くなってきているようです。11年目からは
セミナーに何回か参加した先生にはよく話しますが、どうしたらいいか、自分の臨床のあり方がわからなくなったとき、とにかくまず自分の歯を完全に治してみなさい、噛む機能を完全に回復して、それと同時に全身の健康状態をドックに入って調べてもらいなさい、そのときどういう結果が出て、患者という立場になったときに何が感じられてくるか。
たとえば、2日コースのドックに入ってきたとします。同室の人と一言も口をきかなかった、きけないような雰囲気が病院のなかに感じられた、そうすると自分の診療室の待合室で患者どうし話を交わすことは、都合がいいのか、悪いのか。看護婦の応対はどうであったか。
要するに何かに気づいて、まず自分から変わっていかなければ、患者は思うように変わってくれるはずはありません。自己教育ができなければ、患者教育はまずは不可能です。
これからのセミナーは、回数も時間もかなり減らして続けていかざるをえませんが、一番のねらいは、自分を変えなくてはいけないと気づいた人に、では具体的にどうすればいいのかという事を、私ができる範囲で示してみたいと思っています。
もう私に残されている時間はわずかです。新たな第1歩として、かなり焦点を絞ったお話しを、本年の箱根から試みていくつもりです。
.
歯界展望:第79巻第2号 359-366 別冊・1992年(平成4年)2月15日発行